沿革

◆ 慶應義塾のあゆみ

 創始者・福澤諭吉は、天保5(1835)年、豊前中津藩の下級武士の次男として、大阪・堂島で生まれた。1858年、福澤は築地の中津藩の屋敷で蘭学塾を開設。政治・経済・社会の正しい方向を示し、導く先導者となるべき人材を育てることに傾倒した。1868年には、名称を「慶應義塾」と定め、ここに藩や国家から独立した近代教育の先駆となる学塾が誕生した。

 「独立自尊」。日本の近代教育の先導者として歴史を重ねてきた慶應義塾は、創始者・福澤諭吉のこの思想にはじまる。"独立"は、「国家権力や社会風潮に迎合しない態度」、"自尊"は、「自己の尊厳を守り何事も自分の判断・責任のもとにおこなうこと」を意味している。この理念は、いまも、真に社会に貢献できる人材を輩出するために努力をつづける、慶應義塾の教育の中核となっている。


◆ 医学部のあゆみ

 初代学部長・北里柴三郎博士は、嘉永5(1852)年、熊本県に生まれた。1885年から7年間、ドイツに留学。ローベルト・コッホ博士の助手として、細菌学の分野で世界的に名が知られた。帰国後、博士は、伝染病の死者が過半数を占めていた日本に、伝染病研究所設立の必要性を強く感じた。

博士に賛同し、支援の手をさしのべたのが福澤諭吉であった。福澤は、「学問の推輓は余が道楽の一つなり、私力を以って其の手始めと為すべし」と、芝公園内にある地所など私財を投じ、博士に日本初の伝染病研究所を提供した。

福澤没後16年目の1917年、慶應義塾大学に医学部設立を検討していた福澤の志を継いだ者たちの手で、医学部が4番目の学部として開設され、博士が初代学部長に就任した。

トップページ 慶應義塾ホーム 医学部トップ